PHS契約数の歴史的推移

 PHSは、「第二世代コードレス電話システム」として日本で開発・標準化されたデジタル無線通信方式である。世界全体では、中国を中心として2001年頃より急速に利用が拡大し、最盛期の2006年10月にはPHS契約数が中国9330万、日本490万、台湾130万、タイ35万、ベトナム20万などとなり、全体で1億件を超えた。日本では1995年7月に東京・北海道地区でサービスを開始した。同年10月には両グループが東北、北陸、東海、関西、中国、四国、九州などへ展開し、全国の主要都市で利用できる体制となった。ただし、当初のサービスエリアは県庁所在地などの都市部が中心であり、その後、基地局の増設によって各地域内の通話可能区域が段階的に拡大された。

 1990年代当時の携帯電話網では、鉄塔やビルの屋上などに設置した基地局が半径数km程度の範囲を受け持つマクロセル方式を中心的に採用していた。これに対してPHSは、小型・低出力の基地局を多数配置し、各基地局が半径約100~数百m程度の範囲を受け持つマイクロセル方式を基本としていた。サービス提供には、多数の基地局を設置する必要があったが、各基地局の設備費や設置費は比較的低く抑えることができた。このようなネットワーク構成と事業者の低価格戦略などを背景として、PHSの月額基本料金や通話料金は、当時の携帯電話よりも低く設定された。また、サービス開始当初には携帯電話と比べ、端末価格も一般に低く、小型・軽量で、電波状態の良い場所では当時のPDC方式の第二世代携帯電話よりも明瞭な音声通話が可能であった。
 そうしたことなどから、PHSの契約数は、サービス開始から8か月後の1996年3月には151万件を、14カ月後の1996年9月には395万件を記録するなど急速に普及した。最盛期の1997年8~11月には700万件を超える契約数となった。

 その後、携帯電話の料金低下、小型・軽量化、サービスエリアの拡大、機能の向上などにより、PHSが当初持っていた優位性は次第に縮小した。そこでPHS陣営は、携帯電話に先駆けて様々な試みをおこなった。1999年にはDDIポケットが京セラ製の日本初のカメラ機能付きPHS端末を販売開始した。同機は「世界初の移動体テレビ電話」とされた。DDIポケットが2000年には音楽配信サービスを、2001年には日本初のモバイルデータ通信定額サービス(つなぎ放題コース)を開始した。2005年には、ウィルコムがスライド式QWERTYキーボード付きでタッチ操作可能なWindows Mobile用アプリケーションを搭載したシャープ製のW-ZERO3を販売開始した。同機は、無線LANを搭載するとともに、WordやExcelなどの文書の閲覧・編集、PDFやPowerPointの閲覧が可能な先進的な機種であった。

 PHSの契約数は、1997年のピークを回復することはなかったが、2004年6月までは500万件を、2010年4月までは400万件を超えていた。その後、減少傾向が続いたが、2010年12月には、ウィルコムが自社以外の携帯電話や一般加入電話への10分以内の国内通話が月500回まで無料利用可能な「だれとでも定額」(月額980円)サービスを開始した。また複数台契約の促進策などもあり、契約数は再び増加し、2011年7月には400万件を超え、2013年2月から2015年3月頃まで引き続き500万件を超えた。

 しかし、スマートフォン、無料通話アプリ、低価格の携帯電話サービスなどの普及もあり、PHS契約数は2015年中頃から大幅な減少に転じた。2019年には200万件を割り、2021年には一般の音声・データ通信サービスの提供が終了した。

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