電信の商業化・公衆利用は、英国では1830年代末からCookeとWheatstoneによる電信が鉄道でなされ、1840年代には商業的な電信サービスが発展した。米国ではモールスによるWashington–Baltimore線が1844年に開通し、その後急速に商業電信網が形成された。
電信を利用した公衆電報サービスは、1830年代末から1840年代に欧米で開始され、その後、電信網の整備とともに急速に普及した。電報は、政府・外交・軍事、鉄道運行、新聞報道、株式・商品取引、企業間取引、家族の緊急連絡などに利用され、19世紀後半から20世紀前半にかけて、主要な遠距離文字通信手段の一つとなった。
電報は、通信手段として下記のようなメリットを有していた。
- 郵便と比べて、遠隔地へ文字情報を迅速に伝達できる。
- 電話と異なり、相手が電話を持っていなくても、最寄りの電報取扱局まで電信で送信し、そこから配達員によって相手に届けることができる。
- 電話と異なり、受取人が通信時にその場にいなくても届けることができる。(電話では、相手方に不在時の通話の自動的録音手段がなければ、不在時は連絡を取ることができなかった。)
- 電話と異なり、伝達内容が紙に記載されて受取人に届けられるため、内容を記録として残すことができる。(電話では、通話時の音声録音手段がなければ、記録が取ることができなかった。また記録を取っても、文字情報とするためには、文字起こし作業が必要となった。)
- 電話と異なり、文字による記録が残るため、採用通知、商取引上の通知・注文など、正確な内容の伝達や記録を必要とする連絡に利用できる。
電報が19世紀に急速に普及した最大の理由は、上記の第一のメリットにある。人や馬車・鉄道・船などの物理的な輸送手段を利用しての文書の送付に比べて、電信局どうしの間は文字情報を電気信号として送付することで極めて高速に情報伝達ができた。
また上記の第2以下のメリットは、競合通信手段としての電話の普及以後も、電報サービスが利用され続けた要因である。
19世紀における電報は、典型的には下記のような手順での文字情報伝達手段であった。
- 送信者が、電信局へ送信原稿を提出する。
- 通信士が、手作業によって文字情報を入力し、電信によって相手側の電信局に文字情報を送信する。
- 相手側の電信局で文字情報を受信する。
- 受信した文字情報を、紙に手書きして紙の文書とする。
- 紙の文書を配達員が受取人へ届ける。
電信において、文字情報を鍵盤から入力して送信し、受信側で文字を自動的に印字する印刷電信機は19世紀から開発・実用化されていた。しかし、当時の装置は機構が複雑で、モールス式電信などに代わる一般的な方式とはならなかった。20世紀初頭になると、タイプライター型キーボードや5単位符号、スタート・ストップ方式などを採用したテレプリンターが発達し、文字を直接送受信する電信通信が本格的に普及していった。
現在の電子メール・サービスでは、情報がインターネット経由で送信者から受信者に直接に電気信号として自動的に届く。これに対して20世紀前半までの電報サービスは、文字情報の受付、送信、配達にも人手が介在するサービスであった。
電信を利用した公衆電報サービスは、1830年代末から1840年代に欧米で開始され、その後、電信網の整備とともに急速に普及した。電報は、政府・外交・軍事、鉄道運行、新聞報道、株式・商品取引、企業間取引、家族の緊急連絡などに利用され、19世紀後半から20世紀前半にかけて主要な遠距離文字通信手段の一つとなった。
しかし、こうした「情報を迅速に伝達する」という電報の主要な役割は、20世紀中頃以降、電話が企業や家庭に広く普及し、長距離通話も利用しやすくなるにつれて、電話による音声通信に次第に代替されるようになった。さらに、「伝達した情報を記録として残す」という電報のもう一つの役割は、テレックスやFAXなどの通信手段によっても担われるようになり、これらの普及も電報の利用を縮小させる要因となった。
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「文字情報の迅速な伝達」用途「緊急連絡」用途から「慶弔」用途へ-1973年には慶弔用途が一般用途を上回る発信通数に
また発信通数では、一般用途の電報の発信通数は、1963年度の8,130万通をピークに急激な減少を続け、1974年度には1,783万通と2,000万台を割った。その後も減少を続け、1984年度には765万通を1,000万台を割り、1987年度には300万台になった。その後は2003年まで増減を繰り返したが、2004年度から再び減少を続け、2024年度には14万通まで減少した。
慶弔用途の電報は、一般用途と異なり、1975年度の2,905万通まで増加を続けた。一時的に減少するも、1978年度から再び増加傾向に転換し、1991年度には4,289万通まで増加した。それをピークに減少し続け、2000年度には3,000万台を、2004年度には2,000万台を、2013年度には1,000万台を割った。2024年度には282万通にまで減少した。
「素早い連絡手段」、「緊急連絡手段」という電報の主要な役割は、20世紀に電話が企業や家庭へ広く普及するにつれて、電話による音声通信によって次第に代替されるようになった。
慶弔用途以外の一般的用途の内訳としては、私用よりも業務
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s61/pdf/S61_part2.pdf
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s61/html/s61a02020300.html
- NTT西日本「電報の発信通数」
https://www.ntt-west.co.jp/info/databook/pdf/076-077_hasshintsusu.pdf -
文化遺産オンライン「郵政博物館資料 電報取扱通数と電信線延長増加指数累年比較 明治4年-大正13年」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/257220
https://online.bunka.go.jp/heritage/12238/_173480/12238_173480121221155557363_900.jpg電報は年度末の数値で、明治4年(1871)、明治15年(1882)、明治20年(1887)、明治25年(1892)、明治30年(1897)、明治35年(1902)、明治40年(1907)、大正元年(1912)、大正5年(1916)、大正10年(1921)、大正11年(1922)、大正12年(1923)、大正13年(1924)の電報取扱数、および、明治4年度末を1とした指数推移グラフが記載されている。
指数推移グラフは明瞭であるが、取扱数の数値は字がかすれていて読みにくい。画像を縦横10倍にするとともに、明るさを調整して判読した結果としては、明治4年度末の電報取扱数は19,448通と推定される。以後、読み取り間違いがあるかもしれないが、2,994,109、2,821,817、5,491,181、28,415,679、5,5789,910,1






