博覧会

種田明(2000)「万国博覧会の研究: 19 世紀の技術と社会」 (第 20 回桃山学院大学・啓明大学校国際学術セミナー)『桃山学院大学総合研究所紀要』 25(3), pp.21-30
種田明・後藤邦夫「万博博覧会の幻想と現実」(中山茂・後藤邦夫・吉岡斉責任編集『[通史]日本の科学技術・5 -Ⅱ・[国際期] 1980-1995』学陽書房,1999年,p.790-801
横山俊夫編(1992)『視覚の一九世紀一人間・技術・文明一』思文閣出版
吉田光邦(1985)『万国博覧会』日本放送出版協会
吉田光邦編(1985)『図説 万国博覧会史 1851-1942』思文開出版
吉田光邦編(1986)『万国博覧会の研究』思文閣出版
吉見俊哉(1992)『博覧会の政治学:まなざしの近代』中公新書

戸田清子(2008)「万国博覧会と産業振興: 明治期における 「工芸」 と工業化をめぐる考察」『奈良県立大学研究季報』第18巻 第3・4合併号, pp.27-37
東京国立博物館・大阪市立美術館・名古屋市博物館他編(2005)『世紀の祭典 万国博覧会の美術』NHK・NHKプロモーション・日本経済新聞社
國雄行(2005)『博覧会の時代』岩田書院

1958年のブリュッセル万国博覧会は、「科学文明とヒューマニズム」をテーマとして入場者数4100万人を集めた万博である。同万博に関して同書には下記のような紹介がある。

プリュツセル国際博の理念は「最近五十年間、特に第二次大戦後の科学技術の進歩は日覚ましいものがある。しかも交通輸送の進歩と報道のスビードアップによって、世界は著しく縮小された。科学と精神のアンバランス=人間が科学や生産技術の奴隷となり、人間性を喪失して、ますます孤立化していく傾向にある=これが現代世界の性格である。どうすればこれを解決できるのか、その方法を見出だす糸口をつくることを目指す」というものであり、その理念を具現化するために「より人間的な世界へのバランスシート・科学文明とヒューマニズム」というテーマを掲げている。
こうした高邁な理念とテーマにもかかゎらず、現実のこの国際博が提示して見せたものは、アメリカ館とソ連館に象徴される東西両陣営のプロパガンダの激突であり、具体的な展示訴求のキーワードは”核“と”宇宙“であった。大戦前まで主流であった種民地主義も陰を薄くし科学技術の進歩を明るい未来と単純に結び付ける楽観的な考え方もできず、一方では核の脅威と「核の傘」の存在や必要性が強調される時代の国際博は、他の参加国の出展方針にも影響を及ぼし、同時に第二次大戦後の混乱した世界の社会経済秩序の行く手を模索する時代でもあった。表現を変えれば、国際的な政治・経済の枠組みの再編成を反映して見せた国際博であったともいえる。(p.77)
 
Bureau International des ExpositionsのWEBページ“EXPO 1958 BRUSSELS”では、欧州経済共同体(European Economic Community)が発足し、技術革新が次々と起こり、勃興しつつある消費社会が平和・繁栄・進歩の時代の夜明けであると信じられるにつれて、第二次世界大戦の爪痕が消えさりつつある時に1958年のブリュッセル万国博覧会が開催されたとされている。
The beginning of a new era
Registered by the 32nd General Assembly of the BIE on 5 November 1953, Expo 1958 took place as the traces of the Second World War were starting to fade, as the European Economic Community had just been created, as technological innovations were popping up one after the other, and as the emerging consumer society believed in the dawn of a period of peace, prosperity and progress.

A transition into a new kind of Expo
Expo 1958 marked a turning point in the history of Expos. Even though it was influenced by past Expos, with the showcasing of national prestige and colonial posessions, it questioned the unconditional celebration of technological progress that was at the heart of historical Expos. With its theme dedicated to Progress and Humankind, Expo 1958 placed humanity at the heart of the event, not technology.

A highly innovative Expo
During the Expo, experts pointed out the high level of the new technologies that were exhibited, such as Sputnik, nuclear power plant mock-ups as well as instruments and components made of synthetic materials, automated machines, new engines and computers. The architecture was also innovative, with the use of pre-stressed reinforced concrete (the Philips Pavilion by Le Corbusier) or walls suspended from the roof (France’s pavilion).

The Atomium
The main pavilion and icon of Expo 1958 was the Atomium. The unique structure was not intended to survive beyond the event but its popularity and success soon made it a landmark and a great touristic attraction of Brussels.

 
博覧会の、科学技術教育の制度化にとっての歴史的意義
本論文には、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会の社会的意義に関して下記のような引用がある。

Gladstone,J.H.(1875) “The Progress of Science in Elementary School,” Proceedings of the Royal Institution, Vol VII, pp.449-454
「1851年の万国博覧会はイギリスの人々に,自分達が技術と実際的な科学に関する知識が不足していることを示しているように思われる.このことはすぐに科学技術局(Department of Science and Art)が設置されたことにも見られる」(Gladstone 1875:449)

Cardwell,D.S.L.(1957) The Organization of Science in England: A Retrospoect (Herinmann Books on Sociology Series) William Heineman Ltd.[1972, Heinemann Educational, Revised edition.]
「幾入かの現代の著述家が,その万国博覧会は重要でなかったという見解を示しているが,これには賛同できない.万国博覧会の直接的,間接的効果を評価すると,少なくとも,それが科学技術にとってはいかに重要であったのかが明瞭になる。・・・万国博覧会は科学技術についての社会的認識を高める結果となり,そのことが科学技術教育振興運動の指導者達を鼓舞し,その運動の展開を加速させていった」(Cardwell 1972:76)