三木清の技術論

三木清の技術論関係著作
三木清の『全集』は下記でダウンロードできる。
 
三木清(1930)「近代科學と唯物辯證法」『プロレタリア科學』 1930年2月
三木清(1935)「非合理主義的傾向について」『改造』第十七巻 第九号 1935年9月

三木清(1935)「非合理主義的傾向について」『三木清全集』第10巻、岩波書店、p.403
「現代社會の行詰りは、科學や技術の發逹の結果ではなく、寧ろ反對に科學や技術の健全な發逹をも阻害してゐるこの社會の現實の組織にその原因を有する。」
 
 
岩波講座『倫理學』第十冊として1941(昭和16)年10月に出版された。
1942(昭和17)年9月に下記の2論文を付け加えて単行本として出版された。
 三木清(1941)「技術學の理念」『科學主義工業』1941年10月
 三木清(1942)「技術と新文化」『科學主義工業』1942年1月

 
 
三木清は、「主体が持つ目的」(意図)と主体が利用可能な「手段」という関係の中で、ある特定時点・特定社会における特定階層に属する主体が利用可能な手段が当該主体の目的を制限=制約しているといった問題や、道具や機械といった物質的存在としての手段が主体とは独立した存在性を持つといった問題を考えていない、ことが下記の議論の特徴となっている。これは、「形相=質料」関係において、物質を「質料」的なものとして内容的規定を全く持たないものとして捉えて、「形相」のみに注目する視点と共通している。
 現実の社会的場面においては、「手段=目的」関係において、目的が手段を規定しているだけでなく、手段が目的を規定している。

技術論の前提的問題としての、「技術とは何か?」
「あらゆる技術論の前提として、技術とは何かといふ問題があるであらう。この問題は、一見自明の如くであつて、必ずしもさうではない。むしろ我々はそれについてまだ一致した意見をもつてゐないといつて宜い。しかも技術の本質を如何に見るかは、技術論のすべての場合において根本的に重要な關係のあることである。」p.302
 
「技術=手段」(体系)説への三木清の批判の論点
手段とすると、技術という事柄に独自性がないことになるし、それ自身において目的がないことになる
「技術とは何かと問ふとき、普通に與へられるのは、技術は手段であるといふ答である。一層嚴密であることを欲する人々は、技術は手段の總體乃至體系であるといふであらう。この答は極めて正當である如く見えて、實は不完全である。先づもし技術が單に手段であるとすると、それは獨自性をもたないものといはねばならぬであらう。獨自性をもつものは單に手段であることができぬ。單なる手段であるものは獨自性をもたないものである。このやうにして技術は手段に過ぎないと考へられたことが、從來の哲學において技術の問題が無視或ひは輕視されてきた一つの理由である。實際、もし技術が單なる手段であるとすると、技術哲學といふ如きものは存在し得ないであらう。技術哲學は技術が何等か獨自性をもつもの、從つて何等かそれ自身において目的と考へられるものであることによつて?立し得るのである。」pp.302-303
 
「技術=手段」とすることは、「技術=科學の適用乃至應用に過ぎない」とするものとして、技術の独自性を認めないことである。
「技術は科學と經濟とのいはば中間に位すると見られてゐる。技術を單に手段と考へることは、先づ一方において科學に對する技術の獨自性の否定となるであらう。この場合、技術は科學の適用乃至應用に過ぎないと考へられる。しかるにこのやうに考へることによつて、一見科學と技術との密接な關係を主張するかの如き見解は却つて他方において、技術を科學から引き離してこれを單に經濟に仕へさせることになり、そこから技術に對する科學者の無關心が生じることになる。科學は何のために技術として應用されるかといふと、經濟のためであると考へられ、そのやうな應用は科學者には沒交渉のことであると考へられるであらう。技術の獨自性を認めないものが技術を眞に尊重することができないのは當然である。このやうな科學者は技術の進歩のために十分に協力することを好まないであらう。」pp.303-304

 
技術の独自性としての、科学に対する技術からの刺激
技術を科學の應用に過ぎないと考へることは、科學そのものの發逹にとつて喜ぶべきことではない。科學はしばしば技術から刺戟されて發逹するのであるが、技術から刺戟されるといふことは元來、技術が獨自のものであることによつて可能である。技術は科學から影響され、逆に科學は技術から影響されるといふ普通に認められる關係は、論理的にいつても、事實上においても、兩者がそれぞれ獨自のものでありながら一つに結び附いてゐることによつて可能である。技術は科學の應用であるといはれるなら、科學は技術の變形であるといふこともできるであらう。科學的知識は、マックス・シェーラーに依ると、「仕事の知識」である。卽ちそれは、宗敎的知識や形而上學的(哲學的)知識とは違つて、その本質において技術的である。科學は自然に働き掛けてこれを變化しようとする技術的要求から生れたのみでなく、その方法においても技術的であるといふことができる。近代科學に特徵的な實驗の方法がそのことを示してゐる。實驗は與へられた現象をそのまま觀察することでなく、現象を作り出すことによつて現象を觀察することである。卽ち作ることによつて知るといふのが近代科學の方法の特徵である。實驗は小規模における技術であり、逆に技術は大規模における實驗であると考へることができる。もちろん、科學と技術とは同じであるのではない。却つて科學は技術の立場を一旦否定することによつて?立するのである。兩者はそれぞれ獨自のものでありながら、しかも一つに結び附いてゐる。この關係の理解が科學と技術に對する政策の基礎でなければならぬ。」pp.304-305
 
手段体系説は、「技術=経済にとっての手段」とするものとして、技術の独自性を否定するものである
技術を手段と見る者はこれを何よりも經濟にとつての手段と見るであらう。しかしながら技術は經濟に對しても單に手段であるのではない。もし技術が經濟の手段に過ぎないとすると、技術はどこまでも經濟に從屬し、經濟に束縛されることになる。かやうにして從來見られたやうに、技術は單に營利の目的に使用され、營利的見地のためにその發逹が制限され阻碍されるといふやうなことも生じるのである。尤も、技術は一方經濟に對して手段の意味をもつてゐる。しかしそれは單に手段であるのでなく、他方同時に獨自のもの、それ自身において目的であるものである。そこで今日、技術の進歩のために技術は經濟から解放されねばならぬと考へられるのも當然であらう。營利主義の經濟からの解放は技術の進歩にとつて必要である。かやうにしてその獨自性を認めることによつて技術は進歩し、その結果經濟もまた發展することができる。技術を單に經濟の手段と考へてその自由な發逹を束縛することは却つて經濟にとつても不利になる。技術と經濟とはそれぞれ獨自のものでありながら密接な關係に立つてゐる。技術の發逹が經濟の樣式に影響すると共に、經濟の樣式が技術の發逹に影響する。技術は經濟に對して獨自のものであるが、しかし單に自己目的であるのではなく、他方において經濟にとつて手段である。
 かやうにして我々は、技術は手段であると同時に自己目的であるといはねばならぬであらう。この關係を全體として把握することが、技術の問題を考へるあらゆる場合において大切である。しかもこれまで普通の見方が技術を單に手段と考へることに偏してゐたのに對して、今日むしろ强調されねばならぬのは、それが獨自のもの、自己目的的なものであるといふことである。」pp.305-306
 
「道具を使って物を作る行為=技術」-三木清は、技術と労働を混同している
「技術が手段と考へられる場合、技術は道具乃至機械から考へられるのがつねである。道具は確かに手段である。けれども道具が技術であるのでなく、道具を使つて物を作る行爲が技術なのである。一般的にいふと、技術は行爲の形である。その本質的な特徵は、この行爲の中には道具が契機として含まれるといふことである。かやうに技術を全體的に、行爲の形として定義すると、それが單に手段と見られ得ないことは明かになるであらう。」pp.306-307
 

こうした三木清の見解に関して山崎俊雄は次のように批判している。

「技術者運動の先駆であった前記の「工人倶楽部」は、一九三五年「日本技術協会」と改称し、国策に協力する方向をうちだした。これらの団体の支援により、興亜院技術部長となった宮本武之輔を中心に、四一年日本にはじめて科学技術政策が公式に登場した。いつぽう労働組合の解消が強制され、労働の概念が技術にすりかえられる機運が強化された。労働手段説を基本的には支持しながらも、労働の概念に技術をしのびこませざるをえない立場を三木清が代表した。」山崎俊雄(1971)「技術とは何か」日本科学者会議編『現代技術と技術者』(技術論セミナーI)青木書店、p.18
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