科学研究費・軍事研究開発費視点から見たdual use

軍事研究開発費に当てられる防衛省の財政資源・人的資源の有限性に対して適切に対処し、軍事力に関する相対的競争優位をCost Leadership, Differentiation, FocusといったPorterの競争戦略視点から確保・強化する方法に関して、「規模の経済・不経済」や「範囲の経済・不経済」に対する経営学的対処という視点から分析を行うことが有益である。

本稿では、軍事研究開発費に当てられる防衛省の財政資源・人的資源の有限性に関する防衛省側の認識、および、そうした有限性に対するdual use論的対処に関する認識をまずは見ていくことにしよう。なお下記では、「軍事技術開発・軍事製品開発に際して民生技術を活用する」スピンオン、および、「民生技術開発・民生製品開発に際して軍事技術を活用する」スピンオフといった事後的=結果的dual useを主として取り上げる。

『防衛白書』等の防衛省関連資料における研究開発・製品開発に関わるdual use論的主張

  1. 防衛技術シンポジウム2012 創立60周年記念 特別講演Ⅱ「将来技術との融合を目指して!~新たな時代を拓く防衛技術の在り方を多面的に考える~」
    https://www.mod.go.jp/atla/research/dts2012/toku2.pdf
    佐々木達郎(当時、前技術研究本部長、金沢工業大学教授)の発言「民間企業との関連という点では、確かに戦後の防衛庁技術研究本部では先ほどお話ししましたように、工廠等もありませんし、自らつくるということはできませんので、試作品の段階から、もちろん量産もそうですが、民間の技術力に依存してまいりました。特に自衛隊固有の、例えば火器弾薬とか戦闘車両、あるいは戦闘機等に関しましては、どうしても防衛省独自にこれを保持しなければいけない技術ですが、一般の装備品、すなわち通信機材ですとか普通の車両だとか、その他もろもろに関しましては、これは民生技術、我が国の優れた民生技術を活用するというのをベースにずっとやってきました。<」pp.20-21

    [引用者コメント]軍事的優越性の確保に際して、他国に対するDifferentiationを持続的=長期的に確保するためには、「火器弾薬とか戦闘車両、あるいは戦闘機等」といった主要な「正面装備」(戦闘に直接使用される兵器・装備)に関する技術開発力・製品開発力を防衛省自らが有することが必要かつ有用である。敵国に対する軍事的卓越性(敵国に対するDifferentiation的意味での軍事的競争優位性)の持続的=長期的確保を左右する主要な正面装備に関する技術開発力・製品開発力に関して、自前主義を捨て内部的開発能力を育てず、民間企業あるいは他国(仮にそれが現時点における友好国であったとしても)に全面的に依存することは適切ではない。主要な正面装備に関しては、Differentiationの持続的=長期的確保のためにも「秘密特許」などに端的に示されているようなそれらに関する機微性・秘匿性確保に対応したclosed戦略に基づく開発力育成が求められる。
     その一方で軍事力の全体的大きさが「軍事力の質」✕「軍事力の量」という形で規定されるとすれば、主要な正面装備に関するClosed戦略に基づく「質」的優位性の確保とともに、一般の装備品(通常の運搬・移動用の車両、通常の通信機材)に関するopen戦略に基づく量的優位性の確保が重要となる。すなわち、一般の装備品に関しては、軍事目的視点からの一定のカスタマイズや追加の技術開発・製品開発が必要であるにしても、基本的には民生製品の機能・性能で軍事作戦遂行が可能であるから、既成の民生技術・民生製品を有効活用することが可能である。
     

    佐々木達郎(当時、前技術研究本部長、金沢工業大学教授)の発言「いずれにしましても尐ない経費でここまでやってこられたというのは、国内の民間企業が持つ優れた技術を活かした分野で、その技術が適用できる装備品に対して、技術の上澄みだけ国が経費を払ってきて、安い経費で何とか装備品をつくっていただいたという面があるんじゃないかと思います。これからもぜひ新しい技術、それと先ほど僕申し上げましたが、大学の先生とか、それから独立行政法人の方々とか、あるいは中小企業の持っている技術を日本の財産として有効に使わせていただいて、短期間にその時代に合った装備品をつくらせていただくような環境、もちろんこれまで努力いただいた防衛産業の方々にはリーダーになってもらわなきゃいけないとは思いますが、そんな形で進めさせていただければと思います。」p.21

    [引用者コメント]軍事研究開発費に当てられる防衛省の財政資源・人的資源の有限性に対応するための方法の一つが、本引用にあるように、民生技術が活用できる装備品(兵器・装備)に関しては、民生技術・民生製品を活用し、軍事目的に対応したカスタマイズに関する技術開発・製品開発に関するコストのみを軍事当局(防衛省)側が負担するという「スピンオン」型dual use開発方式である。
     

    堤厚博(技術研究本部研究開発評価官)の発言「防衛装備品等の開発や生産というのは、欧米の軍事先進国を追随するキャッチアップ型の時代から、国情や防衛環境の変化とか、技術動向を踏まえて戦略的に進めていくフロントランナー型の時代へ変遷しつつあるように感じております。これを効果的に推進するためには、技術研究本部と防衛関連企業に加えて、第3のステークホルダーとして大学とか独立行政法人などの参画によって、新たな可能性を追求していくということが考えられます。つまり、大学とか独立行政法人を含めて国内の技術基盤を最大限に活用していくということが得策であると。日本のものづくりでも、大企業と中小企業とが上手に連携することで日本ブランドをつくり上げているというのが現状だと思います。」p.24

    [引用者コメント]軍事力増大は、「欧米の軍事先進国を追随するキャッチアップ型」の時代では、follower戦略に基づく「模倣・改良」が基本的に有用であった。
    しかしながら他国に先んじて新たな兵器・装備を研究・開発することが必要な「フロントランナー型」の時代では、必要な研究開発を自国において軍事当局(防衛省)のリーダーシップのもとで遂行することがどうしても必要となる。この場合にネックとなるのが、防衛省側の財政資源・人的資源の相対的有限性という問題である。
     財政資源の相対的有限性に関しては、2024年度に軍事研究開発費が科学研究費を上回るようになるなどの対応が進んでいる。人的資源の相対的有限性に対する対応策の一つが、安全保障技術研究推進制度(防衛省ファンディング)などを通じて、軍事研究開発費の一部を大学・民生企業などに回すことである。
     

    佐々木達郎(当時、前技術研究本部長、金沢工業大学教授)の発言「今、例えば隣の韓国にしろ、中国にしろ、軍事費、もちろん研究開発費というのはべらぼうに増やしていますし、またその要員というのが大変多い、日本の何倍かの要員を構えるような状況に至っています。日本が今のままいって、本当に反省しなければいいんですが。ただ、先ほど秋元先生も最後におっしゃいましたが、中小企業だとか大学とか独法、そういった持てる技術を、この予算が削減され定員が削減される中、そういった技術を活用させていただけるような環境をつくっていただいて、ぜひもっと効率的で優秀な装備品ができるような、そんな努力をこれからもしていただければと思います。お願いです、よろしくお願いします。」pp.46-47/div>

     

  2. http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2014/html/n4141000.html“>『防衛白書』平成26(2014)年版
    http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2014/html/n4141000.html

    財政的、人的な資源が限られる中、先進的な研究を中長期的な視点に基づいて体系的に行うため、新たな脅威に対応し、安全保障上戦略的に重要な分野において技術的優位性を確保できるよう、最新の科学技術動向、戦闘様相の変化、国際共同研究開発の可能性、主要装備品相互の効果的な統合運用の可能性などを勘案し、主要な装備品ごとに中長期的な研究開発の方向性を定める将来装備ビジョンを策定し、効果的に人的、財政的資源を投入する。

    近年、防衛技術と民生技術との間でデュアルユース化、ボーダーレス化が進展している中、産学官の力を集結させて、安全保障分野において有効に活用し得るよう、科学技術に関する動向を平素から把握し、独立行政法人や大学などの研究機関との連携の充実を促進することで、防衛にも応用可能な民生技術の積極的な活用(スピンオン)に努めるとともに、民生分野への防衛技術の展開(スピンオフ)も図り、防衛技術と民生技術の相乗効果による技術の進展を促す。また、先進諸国においては、防衛装備品の高性能化を実現しつつ、費用の高騰に対応するため、国際共同開発などに参加することが主流となっていることから、わが国としても国際共同開発などへの参加も念頭に置きつつ、防衛装備移転三原則のもとで、装備・技術分野における諸外国との協力を進めていく。産学官連携の強化、国際的な装備・技術協力の推進に際しては、防衛技術、デュアルユース技術の機微性・戦略性を適切に評価し、わが国の安全保障上の観点などから意図しない武器転用のリスクを回避するなど、技術管理機能の強化を図る。

     

  3. 防衛省(20196)『防衛技術戦略~技術的優越の確保と優れた防衛装備品の創製を目指して~』
    技術のボーダレス化 、デュアルユース化の進展
    近年、防衛技術と民生技術との間でボーダレス化、デュアルユース化が進展し、両者の相乗効果によるイノベーションの創出が期待されており、既存の防衛産業が有する技術のみならず、我が国が保有する幅広い分野の技術にも目を向け、これらを進展させることにも留意しなければ、真に優れた装備品 の創製にはつながらなくなってきてい る。「第5期 科学技術基本計画」 において 「科学技術には多義性があり、ある目的のために研究開発した成果が他の目的に活用できることを踏まえ (中略) 適切に成果の活用を図っていくことが重要」とされているとおり、科学技術政策の観点からも、防衛と民生の双方の技術連携を促進するため産学官の力を結集し、防衛にも応用可能な民生技術の積極的な活用(スピンオン)を行うとともに、民生分野への防衛技術の展開(スピンオフ)を図り、我が国の技術力を進展させることが重要である。このため、安全保障と民生分野の双方に活用可能な 先進的な 技術を創出し、技術力の強化を図るとともに、関係府省・産学と連携し、我が国が有する様々な技術力を効果的・効率的に活用し、真に優れた装備品の創製につなげることが一層不可欠となってきている。
     

  4. 防衛省「次期戦闘機の調達について」2020年11月14日
    https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/R02/img/s2.pdf

    下記引用図のように、「戦闘機はその時代の最先端の技術を結集し、多くの企業・人員が関わって開発」するというスピンオフの追求、および、「戦闘機開発によって生み出された技術は、機微情報の保全を前提に、我が国の安全保障のみならず、技術波及効果を通じ、我が国の他の産業の技術力向上に寄与」するスピンオフ効果の強調がなされている。

     

  5. 『令和6年版 防衛白書』
    「わが国における防衛省の研究開発費は、米国などと比べれば低いものの、近年その重要性から大幅に伸ばしているところである。一方、民生用の技術と安全保障用の技術の区別は、実際には極めて困難となっているなか、わが国の官民における科学技術の研究開発の成果を、装備品の研究開発などに積極的に活用していくことで、国家としての技術的優越の確保に戦略的に取り組んでいくことが重要である。そのため、わが国として重視すべき技術分野について国内における研究開発をさらに推進し、技術基盤を育成・強化する必要がある。

    また、装備品調達や国際共同開発などの防衛装備・技術協力を行うにあたっては、重要な最先端技術などをわが国が保有することにより、主導的な立場を確保することが重要である。また、開発後の調達や装備移転の可能性も踏まえ、費用を抑える観点も重要となる。このため、防衛省における研究開発のみならず、官民一体となって研究開発を推進する必要がある。」
    [引用元]https://www.mod.go.jp/j/press/wp/wp2024/html/n410201000.html

     

    民生分野での技術発展は著しく、それに由来する先進技術が、戦闘のあり方を一変できるほどになっており、産業・技術分野における優劣は国家の安全保障に大きな影響を与える状況にある。」
    [引用元]https://www.mod.go.jp/j/press/wp/wp2024/html/n140105000.html#s140105

  6. 防衛省WEBページ「安全保障技術研究推進制度(防衛省ファンディング」
    「我が国の高い技術力は、防衛力の基盤であり、我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、安全保障に関わる技術の優位性を維持・向上していくことは、将来にわたって、国民の命と平和な暮らしを守るために不可欠です。とりわけ、近年、技術革新により民生技術が急速に進展しており、しかもこれらの先進的な技術は、これまでの戦い方を一変させる可能性をも秘めていることから、防衛にも応用可能な先進的な民生技術を積極的に活用することが重要であると考えています。
    安全保障技術研究推進制度(競争的研究費制度※)は、こうした状況を踏まえ、防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な基礎研究を公募するものです。
    ※大学、研究開発法人、民間企業等において、府省等の公募により競争的に獲得される経費のうち、研究に係るもの。従来、競争的資金として整理されてきたものを含む。」
「軍事研究開発費の、科学研究費に対する相対的比率増大」(2024年度に逆転)に関する参考資料
下記グラフに示したように、軍事費の2023年度以降の大幅増にともない、2024年度に防衛省の軍事研究開発費が2,606億円と、科学研究費総額2,429億円を上回った。
とはいえ、日本国において、軍事研究開発費が軍事予算の中で占める割合は2000-2024の25年間平均で2.9%である。また2022年 3.3%、2023年 3.3%、2024年 3.4%とここ3年間は25年間平均を上回っているが、2016-2021の6年間平均は2.3%と、25年間平均を0.6%も下回るものであった。

 
「軍事研究開発費に当てられる防衛省側の財政資源、人的資源の相対的有限性」に関わる参考資料
上記のように、軍事研究開発費は最近二なり大きく増額はされているが、それでも軍事費総額でみるとまだ相対的にかなり小さい。すなわち、軍事研究開発費は、下記グラフに示したように、軍事費全体に占める割合は2018年度以降増加傾向が続いてはいるが、2024年度でも軍事費の3.6%にとどまっている。
 もちろん防衛省と民生企業とを単純に数値比較することは適切ではないが、GAFAをはじめとしたアメリカのハイテク企業が売上高の10数パーセントを研究開発費に回していることに比べると、研究開発費の割合はかなり少ない。Alphabet(Google)の2024会計年度の研究開発費は、同社の10-Kによると、493億26百万ドルにも達する巨額な金額であった。三菱UFJリサーチ&コンサルティングのデータによると、2024年のドル為替の年間平均TTMは151.58円/ドルであるから、円換算した金額は約7兆4768億円に達する巨額な金額である。
Alphabet(Google)はたった一社で日本の軍事費(7兆7249億円)とほぼ同額、すなわち、日本の防衛省の軍事研究開発費(2606億円)の30倍近い金額を研究開発費として支出しているのである。そうしたことから考えると、ITに関わる研究開発力に関して、日本の防衛省がアメリカの民間ハイテク企業に相対的競争劣位であることは確かである。そのため、アメリカの民間ハイテク企業の研究開発力を活用できない日本の防衛省としては、日本の大学・民生企業の研究開発力の活用することで一定の対応をしようとしているのである。

とはいえ、Alphabet(Google)の研究開発費はたった一社で日本の2024年度の科学研究費と軍事研究開発費の合計額5035億円の約15倍に達することから推測すると、なかなか厳しい道であることがわかる。

 
「日本における部門別の研究開発費使用額の歴史的推移」に関わる参考資料
民生企業の研究開発力をスピンオン的に活用することの有用性・必要性という主張の背景には、下記グラフのように、企業の研究開発費使用額が2022年には日本における研究開発費使用額全体の73%と極めて大きな割合を占めていることもある。


[数値の出典]文部科学省 科学技術・学術政策研究所『科学技術指標2024』統計集の表1-1-6
エクセル・データ https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2024/hyoudata/STI2024_1-1-06.xlsx

 
「米国における部門別の研究開発費使用額の歴史的推移」に関わる参考資料
下記グラフに示されているように、前述のことはアメリカにも当てはまる。アメリカでは、GAFA、インテル、マイクロソフトなどのハイテク民生企業を中心として研究開発に巨額の資金を投入し続けていることもあり、2010年代後半以降になり、民間企業の研究開発費使用額が急激に増大し続けている。


[数値の出典]文部科学省 科学技術・学術政策研究所『科学技術指標2024』統計集の表1-1-6
エクセル・データ https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2024/hyoudata/STI2024_1-1-06.xlsx

 
「民間企業における研究開発費の歴史的推移」に関わる参考資料
  1. 売上高に対する営業利益率・研究開発費率に関する日系企業と米国系企業の比較
  2. Googleの売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
  3. Amazonの売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
  4. Facebookの売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
  5. Appleの売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
  6. Twitterの売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
  7. 任天堂の売上高・営業利益率・研究開発費率の歴史的推移
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dual useに関する2025.05.24メモ

1.Dual useに関して、製品(Product)に関するdual useと、技術(Technology)に関するdual use、研究に関するdual use、研究者(あるいは研究能力)に関するdual useなどを、相対的に区別すべきではないでしょうか?
 例えば、マイクロプロセッサ製品に関するdual useと、マイクロプロセッサ製造技術に関するdual useは相対的に区別すべきです。
 世界最初の民生用マイクロプロセッサであるIntel4004という製品は、「電卓上がりのプロセッサ」と称されるようなその性能の低さもあり、現実的な軍事的利用可能性を有してはいない。
 これに対して、世界最初の民生用マイクロプロセッサであるIntel4004という製品に関わる製造技術、あるいは、マイクロコードを利用したCPU製品開発技術(マイクロプロミング技術)などは、軍事的利用の可能性を単純には否定できない。
とはいえ、マイコンなど低価格の民生製品に関わる製造技術や製品開発技術は、高性能性・高信頼性よりも低コスト性の実現を主目的としているという意味において、敵国の軍事製品を上回るような高性能性・高信頼性の実現を追求する場合には現実的には利用できない。
 現実的な技術の社会的存在は、その開発意図・開発目的による存在制約を持っているのであり、「すべての民生技術がそのままで軍事技術に直接的に転用可能である」というような普遍的両義性を持ってはいない。
 
2.製品の結果的利用に関する両義性(Dual use of Product)は、軍事作戦遂行における有効性視点から製品の機能・性能の軍事的有用性を現実的に分析すれば、「一部の製品に関しては成立する」が、「すべての製品に関して成立するとは言えない」。
「すべての製品が両義性を持つ」という普遍的両義性論は、基本的には正しくはない。例えば、家庭用の刺身包丁という「製品」は、確かに「殺傷力を持っている」という意味では軍事的利用も不可能ではない。その意味で「製品の結果的利用に関する両義性」を持っていると抽象的には言えなくもない。
しかしながら、家庭用の刺身包丁を軍事作戦遂行に利用せざるを得ないような軍隊は、現実的な継戦能力を有してはいない。そうした意味で、家庭用の刺身包丁という製品は、「製品の結果的利用に関する両義性」を現実的には有してはいない。
また原爆は、「製品使用にともなう放射能汚染を防止できない」という点において、製品に関わる「用途の両義性」を現実的には有してはいない。実際、旧ソ連およびアメリカでは、原爆などの核爆弾の民生的利用(Peaceful nuclear explosion, PNEs)の追求の試みが実際になされたが、結果的には商業的実用化に成功できてはいない。
 
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技術史関係資料-通史-古代・中世

 
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博覧会

種田明(2000)「万国博覧会の研究: 19 世紀の技術と社会」 (第 20 回桃山学院大学・啓明大学校国際学術セミナー)『桃山学院大学総合研究所紀要』 25(3), pp.21-30
種田明・後藤邦夫「万博博覧会の幻想と現実」(中山茂・後藤邦夫・吉岡斉責任編集『[通史]日本の科学技術・5 -Ⅱ・[国際期] 1980-1995』学陽書房,1999年,p.790-801
横山俊夫編(1992)『視覚の一九世紀一人間・技術・文明一』思文閣出版
吉田光邦(1985)『万国博覧会』日本放送出版協会
吉田光邦編(1985)『図説 万国博覧会史 1851-1942』思文開出版
吉田光邦編(1986)『万国博覧会の研究』思文閣出版
吉見俊哉(1992)『博覧会の政治学:まなざしの近代』中公新書

戸田清子(2008)「万国博覧会と産業振興: 明治期における 「工芸」 と工業化をめぐる考察」『奈良県立大学研究季報』第18巻 第3・4合併号, pp.27-37
東京国立博物館・大阪市立美術館・名古屋市博物館他編(2005)『世紀の祭典 万国博覧会の美術』NHK・NHKプロモーション・日本経済新聞社
國雄行(2005)『博覧会の時代』岩田書院

1958年のブリュッセル万国博覧会は、「科学文明とヒューマニズム」をテーマとして入場者数4100万人を集めた万博である。同万博に関して同書には下記のような紹介がある。

プリュツセル国際博の理念は「最近五十年間、特に第二次大戦後の科学技術の進歩は日覚ましいものがある。しかも交通輸送の進歩と報道のスビードアップによって、世界は著しく縮小された。科学と精神のアンバランス=人間が科学や生産技術の奴隷となり、人間性を喪失して、ますます孤立化していく傾向にある=これが現代世界の性格である。どうすればこれを解決できるのか、その方法を見出だす糸口をつくることを目指す」というものであり、その理念を具現化するために「より人間的な世界へのバランスシート・科学文明とヒューマニズム」というテーマを掲げている。
こうした高邁な理念とテーマにもかかゎらず、現実のこの国際博が提示して見せたものは、アメリカ館とソ連館に象徴される東西両陣営のプロパガンダの激突であり、具体的な展示訴求のキーワードは”核“と”宇宙“であった。大戦前まで主流であった種民地主義も陰を薄くし科学技術の進歩を明るい未来と単純に結び付ける楽観的な考え方もできず、一方では核の脅威と「核の傘」の存在や必要性が強調される時代の国際博は、他の参加国の出展方針にも影響を及ぼし、同時に第二次大戦後の混乱した世界の社会経済秩序の行く手を模索する時代でもあった。表現を変えれば、国際的な政治・経済の枠組みの再編成を反映して見せた国際博であったともいえる。(p.77)
 
Bureau International des ExpositionsのWEBページ“EXPO 1958 BRUSSELS”では、欧州経済共同体(European Economic Community)が発足し、技術革新が次々と起こり、勃興しつつある消費社会が平和・繁栄・進歩の時代の夜明けであると信じられるにつれて、第二次世界大戦の爪痕が消えさりつつある時に1958年のブリュッセル万国博覧会が開催されたとされている。
The beginning of a new era
Registered by the 32nd General Assembly of the BIE on 5 November 1953, Expo 1958 took place as the traces of the Second World War were starting to fade, as the European Economic Community had just been created, as technological innovations were popping up one after the other, and as the emerging consumer society believed in the dawn of a period of peace, prosperity and progress.

A transition into a new kind of Expo
Expo 1958 marked a turning point in the history of Expos. Even though it was influenced by past Expos, with the showcasing of national prestige and colonial posessions, it questioned the unconditional celebration of technological progress that was at the heart of historical Expos. With its theme dedicated to Progress and Humankind, Expo 1958 placed humanity at the heart of the event, not technology.

A highly innovative Expo
During the Expo, experts pointed out the high level of the new technologies that were exhibited, such as Sputnik, nuclear power plant mock-ups as well as instruments and components made of synthetic materials, automated machines, new engines and computers. The architecture was also innovative, with the use of pre-stressed reinforced concrete (the Philips Pavilion by Le Corbusier) or walls suspended from the roof (France’s pavilion).

The Atomium
The main pavilion and icon of Expo 1958 was the Atomium. The unique structure was not intended to survive beyond the event but its popularity and success soon made it a landmark and a great touristic attraction of Brussels.

 
博覧会の、科学技術教育の制度化にとっての歴史的意義
本論文には、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会の社会的意義に関して下記のような引用がある。

Gladstone,J.H.(1875) “The Progress of Science in Elementary School,” Proceedings of the Royal Institution, Vol VII, pp.449-454
「1851年の万国博覧会はイギリスの人々に,自分達が技術と実際的な科学に関する知識が不足していることを示しているように思われる.このことはすぐに科学技術局(Department of Science and Art)が設置されたことにも見られる」(Gladstone 1875:449)

Cardwell,D.S.L.(1957) The Organization of Science in England: A Retrospoect (Herinmann Books on Sociology Series) William Heineman Ltd.[1972, Heinemann Educational, Revised edition.]
「幾入かの現代の著述家が,その万国博覧会は重要でなかったという見解を示しているが,これには賛同できない.万国博覧会の直接的,間接的効果を評価すると,少なくとも,それが科学技術にとってはいかに重要であったのかが明瞭になる。・・・万国博覧会は科学技術についての社会的認識を高める結果となり,そのことが科学技術教育振興運動の指導者達を鼓舞し,その運動の展開を加速させていった」(Cardwell 1972:76)

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三木清の技術論

三木清の技術論関係著作
三木清の『全集』は下記でダウンロードできる。
 
三木清(1930)「近代科學と唯物辯證法」『プロレタリア科學』 1930年2月
三木清(1935)「非合理主義的傾向について」『改造』第十七巻 第九号 1935年9月

三木清(1935)「非合理主義的傾向について」『三木清全集』第10巻、岩波書店、p.403
「現代社會の行詰りは、科學や技術の發逹の結果ではなく、寧ろ反對に科學や技術の健全な發逹をも阻害してゐるこの社會の現實の組織にその原因を有する。」
 
 
岩波講座『倫理學』第十冊として1941(昭和16)年10月に出版された。
1942(昭和17)年9月に下記の2論文を付け加えて単行本として出版された。
 三木清(1941)「技術學の理念」『科學主義工業』1941年10月
 三木清(1942)「技術と新文化」『科學主義工業』1942年1月

 
 
三木清は、「主体が持つ目的」(意図)と主体が利用可能な「手段」という関係の中で、ある特定時点・特定社会における特定階層に属する主体が利用可能な手段が当該主体の目的を制限=制約しているといった問題や、道具や機械といった物質的存在としての手段が主体とは独立した存在性を持つといった問題を考えていない、ことが下記の議論の特徴となっている。これは、「形相=質料」関係において、物質を「質料」的なものとして内容的規定を全く持たないものとして捉えて、「形相」のみに注目する視点と共通している。
 現実の社会的場面においては、「手段=目的」関係において、目的が手段を規定しているだけでなく、手段が目的を規定している。

技術論の前提的問題としての、「技術とは何か?」
「あらゆる技術論の前提として、技術とは何かといふ問題があるであらう。この問題は、一見自明の如くであつて、必ずしもさうではない。むしろ我々はそれについてまだ一致した意見をもつてゐないといつて宜い。しかも技術の本質を如何に見るかは、技術論のすべての場合において根本的に重要な關係のあることである。」p.302
 
「技術=手段」(体系)説への三木清の批判の論点
手段とすると、技術という事柄に独自性がないことになるし、それ自身において目的がないことになる
「技術とは何かと問ふとき、普通に與へられるのは、技術は手段であるといふ答である。一層嚴密であることを欲する人々は、技術は手段の總體乃至體系であるといふであらう。この答は極めて正當である如く見えて、實は不完全である。先づもし技術が單に手段であるとすると、それは獨自性をもたないものといはねばならぬであらう。獨自性をもつものは單に手段であることができぬ。單なる手段であるものは獨自性をもたないものである。このやうにして技術は手段に過ぎないと考へられたことが、從來の哲學において技術の問題が無視或ひは輕視されてきた一つの理由である。實際、もし技術が單なる手段であるとすると、技術哲學といふ如きものは存在し得ないであらう。技術哲學は技術が何等か獨自性をもつもの、從つて何等かそれ自身において目的と考へられるものであることによつて?立し得るのである。」pp.302-303
 
「技術=手段」とすることは、「技術=科學の適用乃至應用に過ぎない」とするものとして、技術の独自性を認めないことである。
「技術は科學と經濟とのいはば中間に位すると見られてゐる。技術を單に手段と考へることは、先づ一方において科學に對する技術の獨自性の否定となるであらう。この場合、技術は科學の適用乃至應用に過ぎないと考へられる。しかるにこのやうに考へることによつて、一見科學と技術との密接な關係を主張するかの如き見解は却つて他方において、技術を科學から引き離してこれを單に經濟に仕へさせることになり、そこから技術に對する科學者の無關心が生じることになる。科學は何のために技術として應用されるかといふと、經濟のためであると考へられ、そのやうな應用は科學者には沒交渉のことであると考へられるであらう。技術の獨自性を認めないものが技術を眞に尊重することができないのは當然である。このやうな科學者は技術の進歩のために十分に協力することを好まないであらう。」pp.303-304

 
技術の独自性としての、科学に対する技術からの刺激
技術を科學の應用に過ぎないと考へることは、科學そのものの發逹にとつて喜ぶべきことではない。科學はしばしば技術から刺戟されて發逹するのであるが、技術から刺戟されるといふことは元來、技術が獨自のものであることによつて可能である。技術は科學から影響され、逆に科學は技術から影響されるといふ普通に認められる關係は、論理的にいつても、事實上においても、兩者がそれぞれ獨自のものでありながら一つに結び附いてゐることによつて可能である。技術は科學の應用であるといはれるなら、科學は技術の變形であるといふこともできるであらう。科學的知識は、マックス・シェーラーに依ると、「仕事の知識」である。卽ちそれは、宗敎的知識や形而上學的(哲學的)知識とは違つて、その本質において技術的である。科學は自然に働き掛けてこれを變化しようとする技術的要求から生れたのみでなく、その方法においても技術的であるといふことができる。近代科學に特徵的な實驗の方法がそのことを示してゐる。實驗は與へられた現象をそのまま觀察することでなく、現象を作り出すことによつて現象を觀察することである。卽ち作ることによつて知るといふのが近代科學の方法の特徵である。實驗は小規模における技術であり、逆に技術は大規模における實驗であると考へることができる。もちろん、科學と技術とは同じであるのではない。却つて科學は技術の立場を一旦否定することによつて?立するのである。兩者はそれぞれ獨自のものでありながら、しかも一つに結び附いてゐる。この關係の理解が科學と技術に對する政策の基礎でなければならぬ。」pp.304-305
 
手段体系説は、「技術=経済にとっての手段」とするものとして、技術の独自性を否定するものである
技術を手段と見る者はこれを何よりも經濟にとつての手段と見るであらう。しかしながら技術は經濟に對しても單に手段であるのではない。もし技術が經濟の手段に過ぎないとすると、技術はどこまでも經濟に從屬し、經濟に束縛されることになる。かやうにして從來見られたやうに、技術は單に營利の目的に使用され、營利的見地のためにその發逹が制限され阻碍されるといふやうなことも生じるのである。尤も、技術は一方經濟に對して手段の意味をもつてゐる。しかしそれは單に手段であるのでなく、他方同時に獨自のもの、それ自身において目的であるものである。そこで今日、技術の進歩のために技術は經濟から解放されねばならぬと考へられるのも當然であらう。營利主義の經濟からの解放は技術の進歩にとつて必要である。かやうにしてその獨自性を認めることによつて技術は進歩し、その結果經濟もまた發展することができる。技術を單に經濟の手段と考へてその自由な發逹を束縛することは却つて經濟にとつても不利になる。技術と經濟とはそれぞれ獨自のものでありながら密接な關係に立つてゐる。技術の發逹が經濟の樣式に影響すると共に、經濟の樣式が技術の發逹に影響する。技術は經濟に對して獨自のものであるが、しかし單に自己目的であるのではなく、他方において經濟にとつて手段である。
 かやうにして我々は、技術は手段であると同時に自己目的であるといはねばならぬであらう。この關係を全體として把握することが、技術の問題を考へるあらゆる場合において大切である。しかもこれまで普通の見方が技術を單に手段と考へることに偏してゐたのに對して、今日むしろ强調されねばならぬのは、それが獨自のもの、自己目的的なものであるといふことである。」pp.305-306
 
「道具を使って物を作る行為=技術」-三木清は、技術と労働を混同している
「技術が手段と考へられる場合、技術は道具乃至機械から考へられるのがつねである。道具は確かに手段である。けれども道具が技術であるのでなく、道具を使つて物を作る行爲が技術なのである。一般的にいふと、技術は行爲の形である。その本質的な特徵は、この行爲の中には道具が契機として含まれるといふことである。かやうに技術を全體的に、行爲の形として定義すると、それが單に手段と見られ得ないことは明かになるであらう。」pp.306-307
 

こうした三木清の見解に関して山崎俊雄は次のように批判している。

「技術者運動の先駆であった前記の「工人倶楽部」は、一九三五年「日本技術協会」と改称し、国策に協力する方向をうちだした。これらの団体の支援により、興亜院技術部長となった宮本武之輔を中心に、四一年日本にはじめて科学技術政策が公式に登場した。いつぽう労働組合の解消が強制され、労働の概念が技術にすりかえられる機運が強化された。労働手段説を基本的には支持しながらも、労働の概念に技術をしのびこませざるをえない立場を三木清が代表した。」山崎俊雄(1971)「技術とは何か」日本科学者会議編『現代技術と技術者』(技術論セミナーI)青木書店、p.18
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IC産業の基盤を形成したものとしての軍事的需要

IC産業の基盤を形成したものとしての軍事的需要
「アメリカにおいて今日のICの産業的基盤を作ったのは,気の遠くなるような軍事予算を背景としたミサイルをはじめとするロケット兵器や人工衛星など宇宙開発装置一最近”スペースエレクトロニクス”と呼ばれている-の分野の必要性からでした(第7図)。ソ連においてもまたしかり。ソ連はそのお国柄によって細かいことはわかりませんが,その予算はアメリカのそれをはるかにしのぐ。とさえいわれており,それに伴うエレクトロニクス開発への成果は,想像にあまりあるものがあります。
軍事面におけるIC採用の最大メリットは,現在のところ,高信頼性と超小型化です。
改良されたIC化による大量の電子装置が,ベトナム戦争を契機として中東戦争,更には英・ア紛争にも大活躍しました。またアポロ計画をはじめ人間衛星船,打上げ用ロケット,そのほかの通信衛星,気象観測衛星などの衛星本体およびロケットの電子装置にはほとんどIC(LSI)が用いられています。」泉川新一(1983)『マイコン・パソコンとOA入門 基本18章』電波新聞社、p.8
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トランジスタ産業形成期における日米の違い-日本における量産志向や垂直統合の追求

米国のトランジスタ産業は、「需要の半分近くが産業用および軍用となっていた」[渡辺誠(1985)『超LSIとその企業戦略』時事通信社,p.37]のに対して、日本では産業用が主体であった。
 日本におけるトランジスタ産業の「垂直統合的形態、民生品指向、量産指向」という性格は、日本では米国と異なり産業用が主体であるという需要構造の結果である。

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Beckman, Johann(1739-1811)関連資料

Beckmann, J., A History of Inventions, Discoveries, and Origins
 
Project Gutenberg
 

Translated from the German, By William Johnston. Fourth Edition, carefully revised and enlarged by William Francis, Ph.D., F.L.S., Editor Of the Chemical Gazette; and J. W. Griffith, M.D., F.L.S., Licentiate of The Royal College of Physicians. London: Henry G. Bohn, York Street, Covent Garden.1846.

 
 
 
 

https://archive.org/details/b28768772

 
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技術論関係文献

技術論論争関係
 
「動力=制御」論関係
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技術の社会的構成論(Social Construction of Technological System)

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